重要無形民俗文化財「弘前のねぷた」を継承する団体です
2020年のねぷた
動画はこちら(撮影&編集 SHINTARO TSUSHIMA)
2020年、今年は新型コロナウイルス禍により弘前ねぷたまつりが中止となってしまいました。寂しい夏を迎えるのか・・・と覚悟していましたが、東地区町会連合会の会長の皆様より、町内ねぷたを運行しましょう!という声援があり、双方で検討の結果、東地区町会連合会が主催者となり、安全対策を十分に施した上で実施することといたしました。制作・運行全般にかかることは、ノウハウを有している私達「東地区町会連合会ねぷた」のメンバーが執り行います。例年ならば、6月には長四郎公園にねぷた小屋が建ち、7月にはお囃子練習がはじまり、東地区のまちがねぷた一色になる季節ですが、今年は我慢の年です。小規模ではありますが、12町会全てを練り歩く予定ですので、皆様心待ちにしていただければと思います。
2020年6月19日 東地区町会連合会ねぷた 代表 大中 実
制作 小型組ねぷた 組師 浅間 骨院、村 元肉(彼らのことが知りたければこちらから)
題材 鍾馗
見送り絵 天照大神
解説
新型コロナウイルス禍に題材とするならば、何と言っても鍾馗(しょうき)でしょうき(笑)!

鍾馗(しょうき)は、中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話があります。
『ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せていました。玄宗は高熱のなかで夢を見ます。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまうというものです。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗(しょうき)です。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験しましたが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した者です。しかし高祖皇帝が自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきました」と告げたのです。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付きます。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせました。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿でした。』
玄宗の時代から、臣下は鍾馗図を除夜に下賜され、邪気除けとして新年に鍾馗図を門に貼る風習が行われていました。宋代になると年末の大儺にも貼られるようになり、17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれたそうです。
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2019年、聖龍院龍仙絵師は、弘前大学ねぷたの鏡絵に、一面朱色の鍾馗を描いています。これは無病息災を強く願ったもので、相当なインパクトがありました。まさかその翌年、このような自体になり弘前ねぷたが中止に追い込まれるとは思いもしませんでした。

見送り絵の天照大神は、日本の最高神です。国に平和と豊かさを与える神として、国土安泰、開運、勝運、福徳を授けるとされています。今年の新型コロナウイルス禍に対し、様々な想いを寄せる意味でも最適な題材だということで採用しました。

以下、東地区町会連合会 矢口会長からのご挨拶ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年6月19日
東地区町会の皆様へ
東地区町会連合会
会長 矢口 正一
(公印省略)
東地区町会のねぷた運行について(ご案内)
拝啓、盛夏の候、東地区の皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。また、日頃より東地区町会活動にご参加いただき感謝申し上げます。
さて、新型コロナウイルスの感染拡大を懸念し、弘前市では桜まつりに続き弘前ねぷたまつりも中止となりました。例年であれば7月には長四郎公園にねぷた小屋が建ち、ドンコドンコというお囃子の練習が聞こえたり、町内運行時にはヤーヤドーという子どもたちの元気な掛け声と共にねぷたがやってきたりするのですが、今年はこのままでは”蝉しぐれ”のみの夏となります。各町会長からも何とかしたいという意見があり、検討した結果、小型の組ねぷたで町内運行する行事を、東地区町会連合会が主催することといたしました。
ウイルス感染防止の観点から、子どもたちがねぷたに付いて歩く事はしないなど、制限を設け必要最小限での運営とせざるを得ませんが、12町会すべてを練り歩いたり、沿道から参画いただいたりする工夫をこらしましたので、東地区の皆様にはご理解とご協力、そして温かいご声援を賜りますようお願い申し上げます。
敬具
記
主催: 東地区町会連合会
主幹: 東地区町会連合会ねぷた(制作、運行担当)
制作: 小型組ねぷた、主幹する「東地区町会連合会ねぷた」のメンバーのみが制作に携わります
運行日時: 各出発時間は19時とし21時前までに運行終了の予定です(小雨決行します)
1.8月1日 Aコース(末広,新高田町会エリア)
2.8月3日 Bコース(中央5,中央4,北3,高崎,第一町会エリア)
3.8月5日 Cコース(中央3,稲田,昭和,中央2,中央1町会エリア)
運行ルート:町会の掲示板に掲載します。「活動予定・運行スケジュール」のページを参照してください
運行規模: 小型組ねぷた1台、太鼓1台、笛少人数の小規模運行
運行参加者:主幹するメンバーのみが距離を保って運行に参加し、一般の方や子どもたちは隊列やお囃子に加わりません。(※メンバーには中高生も含まれますが、当会内の東地区登山囃子保存会に所属しており、通年で活動に参画するなど品行方正で、当会の指示に従って行動できる優秀な人物です。保護者の同意、町会長からの許可のもと参加しています)
参画方法: 子どもたちや保護者、町内の方々は、運行ルートの沿道でねぷたを待ち受けていただき、ねぷたが通った際にヤーヤドーの掛け声や、笛・鉦を演奏することで町内ねぷたに参画していただきます。ねぷたの後をついて来たり、綱をひいたりはできませんのでご了承願います
ねぷた小屋:末広に制作小屋を設置、城東内に8月3,5日の運行出発用の拠点を設置します
留意事項: 感染防止策を徹底します。国や県・市の活動再開目安を遵守します
中止条件: 緊急事態宣言が再び発令した場合や、地域内でクラスターが発生した場合など、機応変に判断いたします
以上

2020年7月1日
関係者各位
東地区町会連合会ねぷた
代表 大中 実
東地区町会連合会が主催するねぷたの「自粛」について
世の中、【自粛】という言葉がよく使われておりますが、そもそも【自粛】の意味は、
『自分から進んで、行いや態度を改め、つつしむ(慎重に事をなす)こと。』(goo辞書より)とあり、行動しないという意味ではありません。
新型コロナ禍にあっては、国民各自が様々に自粛し、感染拡大の防止に努めることが求められています。これは生活様式の変革をもたらすものでもあり、地域行事にも当てはまります。以下に東地区町会連合会が主催し、当会が主幹するねぷたの自粛内容について記載しますので、各自遵守の上、行動しましょう。
東地区町会が行う「ねぷた自粛」の内容
No.
これまでのねぷたでの行動様式
新型コロナウイルス感染症の感染防止のために、自ら改め、慎重に事をなす内容
期待される感染防止効果
1
大型ねぷた、小型組ねぷた、町印その他出し物多数だった。
→
小型組ねぷた1台、太鼓1台のみとする。
制作の作業工程や参加人員数を大幅に削減することとなり、感染リスクを下げる。
2
作業を小屋内で行っていた。
→
作業は小屋の外とし小屋は格納場所として使う。
政府からの新型コロナ対策基本方針に従う。3密のうち、「密閉」状態を回避する。
作業中の密接、密集があった。
ソーシャルディスタンスを守り作業に当たる。
3
→
3密のうち、「密集」「密接」状態を回避する。
作業効率はかなり落ちるが、小型ねぷただけなので、ゆっくり時間はたっぷりあるので問題ない。
4
手指消毒、マスクをしていなかった。
→
手指消毒、マスク着用を実施する。
感染リスクを下げる。
作業中、運行中に不特定多数の出入りを認めていた。
出入りはメンバーのみとする。厚労省の「接触確認アプリ」を導入する。
5
→
感染していない地元の人のみで作業を行い、外部からのウイルス侵入を回避する。
ねぷたの作業経由であっても、外部経由であっても、メンバーが感染した場合、接触者の確認ができる。
また、外部の人が感染して、メンバーがその人と接触している可能性があるという情報もアプリで入手できる。接触可能性のあるメンバーは小屋への出入りを禁止する。
6
運行時に子どもたちや一般の大人が参加していた。
→
子どもたちの参加はなしとし、沿道で見てもらうこととする。
子どもたちが運行に参加すると、はしゃいだりして密接になる可能性があるので、それを回避する。
7
ねぷた終了後や作業終了後、小屋の中で飲食していた。
→
ねぷた終了後や作業終了後は、小屋の中で飲食しないようにする。
ねぷた小屋での飲食による3密を回避する。
以上
なお、7月1日付の陸奥新報に、櫻田宏弘前市長からの自粛要請の記事が載っていました。東地区のねぷたは、自粛を率先垂範している好事例ですね。
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以下は、2020年3月21日時点での構想でした。4月15日付、櫻田宏弘前市長による弘前ねぷた中止発表により、2020年は大型ねぷたを出すことができなくなりました。記録のために、ここに記しておきます。
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テーマ 「愛」
本ねぷた 鏡絵の題名 「漢楚軍談」(項羽と劉邦の戦い)
本ねぷた 見送り絵 「虞美人」
本ねぷた ねぷた絵師 佐藤仙峯
組ねぷた 題名 項羽と劉邦
組ねぷた 組師 浅間浩、村元清則
組ねぷた 絵師 松岡泰仙
小ねぷた 絵師 三浦岳仙
2020年は佐藤仙峯絵師に鏡絵を描いていただく年です。
今年の当会のテーマは「愛」となります。例年は当会メンバーで話し合いテーマを決めますが、今回は、佐藤仙峯絵師からの提案です。主要メンバーで話し合った結果、これで行きましょうということになりました。
このテーマとなった場面について
中国を統一した強大な秦王朝を建国した始皇帝は、紀元前210年に世を去り、再び戦乱の時代が訪れました。そのとき、天下を手中におさめようと2人の英雄が熾烈な戦いを繰り広げることとなります。その人物が項羽と劉邦です。項羽はこのとき20代前半で、70を超える戦いに勝利した中国史上屈指の戦の天才でした。一方、劉邦は50歳も間近で項羽との戦いではいつも負け続けていたのです。しかし、最後には劉邦の巧みな戦略によって逆転され、周囲が全て敵だらけになる『四面楚歌』となって項羽は滅亡してしまいます。
劉邦との戦いに敗れると確信した項羽は、愛人である虞美人に対し劉邦の寵愛を受けて生き残るように勧め、置いて去ろうとします。しかし虞美人は、男装をして項羽に同行とすると言って聞き入れず、項羽から宝剣を借りいれた際の恩を返していないと言って最期は自刎してしまいます。項羽は、虞美人の予期せぬ行動に驚き、嘆き悲しみます。このように、二人の男の覇権と、それに巻き込まれた一人の女性の悲しい愛の物語がかつてはあったのです。(明代の通俗小説である『西漢通俗演義』(日本語訳『通俗漢楚軍談』)による)
これは日本の戦国期の羽柴秀吉、柴田勝家、お市の方との関係にも似ているかもしれませんね。
項羽

虞美人

劉邦
