重要無形民俗文化財「弘前のねぷた」を継承する団体です
2008年のねぷた
平成20年(2008年)
鏡絵=弁慶の祈り、見送り絵=白拍子(城東地区ねぷた愛好会)
今回の八嶋先生の絵も、「八嶋彩色」という技法で描かれています。一度薄い下色を塗り、その上からロウを引き、その上に濃い色を重ねています。やわらかい色合いが今までのねぷたになかった雰囲気を醸し出しています。普通のロウ引きによる白色と、この八嶋式によるロウ引きの色合いの違いをお楽しみください。
灯りをともない時には弁慶の顔部が蒼を中心に目立ち、ともすことで金色の色合いが目立つという2回楽しめる絵となっております。
「船弁慶」という能楽を題材にした八嶋先生の想像絵画となっています。
【船弁慶】 船弁慶(ふなべんけい)は、『平家物語』、『吾妻鏡』などに取材した能楽作品。作者は観世小次郎信光。源義経、武蔵坊弁慶、静御前、平知盛(たいらのとももり)を主たる登場人物とし、前半と後半でシテ方の演じる役柄がまったく異なるなど、華やかで劇的な構成が特徴。
【作品構成】 義経が平氏を討伐したのち、頼朝に疑われて西国に落ちるところからこの能ははじまります。前段は義経の愛妾である静御前と源義経の哀切な別れ、後段では平知盛の霊が海上で義経主従を悩ますという構成です。 シテ方は静御前と平知盛の霊というまったく異なったキャラクターを一つの能の前半、後半で演じるという二役を担います。
【前段】義経は頼朝にうとまれたため西国に下るときめる。淀川をくだり摂津国尼崎「大物浦(だいもつのうら)」から船出するという行程を選びます。京を逃れ大物浦にたどりつき、宿で弁慶は同行した静御前を都にかえすよう義経に進言、義経が承知すると弁慶は静のいる別の旅宿に向かいます。静は「おもいもよらぬおおせ」と断り義経に会いにいくといいだします。弁慶はしかたなく静を伴って義経の宿に帰ってきます。 義経は、ここまでけなげについてきた静をほめ、都に帰って時節を待てと命じます。静は弁慶の独断かと疑っていたことを詫び、弁慶も義経と静の別れにもらい泣きをします。静は烏帽子をつけ「白拍子(しらびょうし)」の姿で舞を踊ります。会稽山(かいけいざん)の故事を謡いつつ、頼朝の疑いが晴れることを願う舞です。義経、弁慶主従を乗せるために用意された船はとも綱を解き、主従が乗るのを待っています。静はその場から泣きつつ立ち去ります。
【間狂言】 漁師が用意した船足の速い船で出発しようと弁慶が言います。そこへ義経の従者がきて、風が強いので出発を延期しようと義経がいっていると報告します。義経は静との名残を惜しんで逗留するつもりだと思った弁慶は、「以前は大風でも戦場で船を出していた義経がそのように気弱いことをいっていてはいけない、すぐにでも船を出す、用意せよ。」と漁師に命じます。一同船に乗り海上を渡ろうとするが、徐々に海が荒れ模様となります。
【後段】 武庫山(現在の六甲山)から風が吹き降り、船がだんだん沖合に流されていくので、従者がこの船にはあやかしがついているのではないかと心配します。弁慶が「あら不思議や海上を見れば、西国に滅びし平家の一門」と声をあげますが、義経は「今更驚くことではない、悪逆の限りをつくして海に沈んだ平家一門のことだ、祟りをするのはあたりまえだろう」と平然と言い放ちます。 そこへ長刀をかたげた平知盛の霊が現れ、義経を海に沈めんとして激しく舞います。義経は少しも騒がず、刀をぬいて亡霊と切り結びますが、弁慶は刀では退治できぬと経文を唱え始めます。祈りの力で悪霊は遠のくもののまた詰め寄ってきます。双方きびしくせめぎあうが弁慶の祈りが功を奏し知盛の霊は引き潮に引かれて遠ざかっていきます。
平 知盛(たいら の とももり)仁平2年(1152年)生まれ。平安時代末期の武将。平清盛の正室・時子の四男。
【生涯】知盛は、武将としての才能・人間的魅力の豊かな人物で、源氏勢力の強い武蔵国の国司・知行国主として、同国から多数の平氏家人を獲得しました。兄の重盛・宗盛は後白河に対して優柔不断であったため、清盛は知盛に期待をかけており「入道最愛の息子」と呼ばれていました。
翌寿永3年(1184年)2月7日、一ノ谷の戦いで大敗して子の知章を失い、元暦2年(1185年)3月24日、壇ノ浦の合戦で平氏滅亡の様を見届けた知盛は、海へ身を投げ自害します。享年34。
【碇知盛(いかりとももり)】知盛は「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」(平家滅亡を目の当たりにした)と言い残して、碇を担いであるいは鎧を二枚着て入水したと言われています。
これに想を得た歌舞伎『義経千本桜』の「渡海屋(とかいや)」および「大物浦(だいもつのうら)」は別名「碇知盛」とも呼ばれ、知盛が崖の上から碇と共に仰向けに飛込み入水する場面がクライマックスとなっています。
また、大物浦で義経主従の前に現れる知盛の亡霊のシーンが船弁慶で表現されています。