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重要無形民俗文化財「弘前のねぷた」を継承する団体です
2010年のねぷた
平成22年(2010年)のねぷた
鏡絵=津軽信政公出陣演習図、見送り絵=舞
2010年のねぷたの鏡絵は・・・
絵師は聖龍院龍仙氏 八嶋龍仙氏は、2010年1月に聖護院で得度を受け、在家のお坊さんとなられました。 聖護院のご当主から聖龍院(しょうりゅういん)という名をいただいたので、今後は八嶋龍仙ではなく、聖龍院龍仙(しょうりゅういんりゅうせん)と名乗るそうです。
津軽信政公は4代藩主です。1646年生まれで、10歳のときから1710年に没するまでの長期にわたって藩主として采配を振るいました。本年は没後 300年となります。
信政公は歴代藩主の中でも特に名君といわれており、「中興の祖」として顕彰されています。山鹿素行に師事し、兵学、儒学を修め、また吉川惟足に神道を学んでいます。これらを活かして新田開発、岩木川の治水、屏風山植林、技術者を京から招聘しての織物産業の振興などの整備を行いました。
1710年の没後、5代藩主信寿公が高照神社を建立し、「高岡様」と称して神として崇め奉られています。徳川家康が権現様と称して東照宮で神としてあがめられている以外は、神格を持つ藩主はまれなことのようです。 信政公とねぷたの接点は、 組ねぷたの原点でもある八幡宮祭礼山車と運行は信政公の時代に始まっています。
大太鼓を作ったのはねぷた殿様の3代信義公ですが、江戸屋敷に置いたのは信政公。
太平の時代でしたので、宝刀真守(さねもり)を使った戦はないと思いますが、合戦に対する備えは万全だったはずです。 宝刀は今でも高照神社に展示されています。
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